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2012年3月

同期会

昨日は,修習同期の同じ班のメンバーで同期会を開催しました。
関東地区からこのために来た人もいました。

同じ班のメンバーとは,
裁判修習中は,実際に動いている一つを巡って議論して,
裁判官に指導いただき,
検察修習中は,だだっぴろい部屋で
2か月間毎日顔を合わせ,
弁護修習中は先輩弁護士の方との一泊研修があり,
それ以外にもイベント組んで旅行に行ったり,
飲み会をしたり,1年を通じてかかわってきたので,

和光の組とはまた違った濃い仲の良さがあります。


同期の近況を聞き,仕事ぶりを聞き,
志を聞き,これからの目標を聞き,
修習時代を思い出して大笑いし,懐かしさにひたり,
本当に有意義な時間となりました。

自分の足元を見つめ,振り返り,
これからを見据えて,
目標もってがんばっていこう!
というエネルギーが湧いてきました。

また来年もやりたいし,
5年目,10年目の節目には大々的に開催して,
ずっと交流を続けていきたいと思った次第でした。

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「裁かれた命~死刑囚から届いた手紙~」②

続きです。多少ネタバレありなので,自分の感想を大切にしたい方は
先に読んでいただいて,感想を共有したいところです。


死刑囚の人格の尊厳

「死刑囚は,もう社会に戻ってくることはない。」
正論でしょう。
しかし,死刑囚からすれば,社会への強い関心を持っている。
新聞閲覧の時間がずれると苦情がくるほどだという。
自分と社会をつなぐ新聞を読む,そこに重大な意義を感じている。

その他,死刑囚が文鳥に注ぐ愛情についての表記がある。
その愛情の深さ,屈託のない愛情表現には目を見張るものがある。

人間として感じるこれらの当然の感情を,許さない,
ということを,国家権力の後ろ盾をもって
説得することができるのが死刑制度なのだろうか。

死刑囚の被害者への「償い」についての熟慮の記載がある。
考えて考えた末に行きつく償いの境地の結論。
この死刑囚が行きついた償いの結論をおいて,
他には何があるだろうか。
私人なら,この死刑囚が出した結論以上のものは
出てこないんじゃないかなと思う。


この死刑囚に対し,一時の激情じゃなくて,
死んでほしくないと思った。

他人を殺めたのなら,犯罪者は死なないと納得しない,
という人はきっといると思う。

でも,現行の司法制度において,犯行時以降の
この死刑囚の更生をリカバーする制度はない。

捜査担当検察官が,死刑囚に対する恩赦の希望を阻まれたように,
制度上の限界がある,ということは思う。


ひるがえって,先刻の光市母子殺害事件において,
死刑判決確定の直後に,マスコミ各社が
実名報道に切り替えたことを思い返す。

実名報道に切り替えた理由の一つとして,
要旨「死刑囚となり,社会に戻ってくる可能性がなくなったことから,
少年の更生を考えての匿名の報道との要請がなくなった。」
ということを上げていたところがあった。

私自身は,このマスコミの実名報道については,
少年法の精神を超えた言動だと感じている部分がある。

そこに,「人格の尊厳」とか,「個人の尊重」の気持ちは感じられない。
そのような配慮は不要です,ということの理由が死刑囚だから,
というのは論理の飛躍があるんじゃないだろうか。

マスコミの判断において,死刑囚にある「人間の尊厳」について
思い及んでの熟慮の末の判断であれば,
何の異議もないのであるが,
どうなんだろ,そこを聞きたい,という率直な思いがした。



先日,先輩弁護士と,死刑制度について語る機会があり,
「応報刑という考え方は,そもそも理論の延長に
ある話ではならないのではないか。」
という一つの意見に出会った。

国家が計画的に人を殺す,ということ自体に矛盾がある。

応報刑を支える理論的根拠のよりどころとなっているものって,
何なのだろう。
私は,ハムラビ法典と,被害者感情だと思っていた。

ただ,本村さんの,絞り出した言葉は,

「事件からずっと死刑を科すことを考え,悩んだ13年間だった。
20歳に満たない少年が人をあやめたとき,
もう一度社会でやり直すチャンスを与えることが社会正義なのか。
命をもって罪の償いをさせることが社会正義なのか。
どちらが正しいことなのかとても悩んだ。
きっとこの答えはないのだと思う。
絶対的な正義など誰も定義できないと思う」

というものであった。

 「この判決に勝者なんていない。
犯罪が起こった時点で,みんな敗者だと思う。
社会から人が減るし,多くの人が悩むし,
血税を使って裁判が行われる。
結局得られるものはマイナスのものが多い。
そういった中から,マイナスのものを社会から排除することが大事で,
結果として,妻と娘の命が今後の役に立てればと思う。
そのためにできることをやってきたということを伝えたい」

私はこの言葉を自分に有利に援用するつもりはない。
切り取り方がまずかったら,原典に戻って欲しい。

ただ,本村さんの苦慮,その思考回路こそ,
先んじて世の中に報道すべき価値あるものだと思う。

この本を紹介してくれた元裁判官は,
死刑判決を検討する時,事件のことが
ずっと頭の中から事件のことが離れず,
食事もとれなくなるほどだった,ということを話していた。
私は,内心では,それは職務放棄だなんて,
軽率に思っていた部分があった。
しかし,今は,その死刑判決を検討する重さが理解できる。

死刑制度は,それに関わりをもつ人みんなを不幸にする。
この元裁判官が,死刑制度反対を口にしていること,
刑法は教育刑であるべきことを説いていることの
思考経路を負うことができる。

実に,いろんなことを考えさせられる本なので,
一読をお勧めしたい。

検察官も,裁判官も,弁護士も,
きっと,一生に一度は出会う悩みを味わうことができる。

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「裁かれた命~死刑囚から届いた手紙~」①

「裁かれた命~死刑囚から届いた手紙~」
著者;堀川惠子氏を読んだ。
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死刑制度について,賛成か反対か,
その結論が出たわけではない。

ただ,この本を読んで,この本を通して感じることは,
彼には死んでほしくない,ということであった。
この死刑囚を知ると,
死刑執行の段階でこの方が目の前にいたとき,
きっと,誰しもこの人は殺せないって思うんじゃないかな,
というところまでは実感している。

私が今感じているこの感情は,
特殊なものであるかというと,決してそんなものではない。
被害者遺族は別として,
どんな人でも,ふつうの人ならきっとそう思うだろうという確信がある。

この死刑囚のいろんな側面を知った上での
死刑判決だったのであろうか。
確かに,その時の裁判手続に関して疑いの目を持ちたくなる。

そうすると,裁判員裁判などで死刑が適切か否かを判断する時には,
やはり,死刑囚となった人の人となり,生い立ち,人格を,
一般人が知る機会があることが大事かなーと思えてくる。
知ったうえでの判断であれば,それには異議はない。

この本では,この死刑囚の司法手続にかかわった
弁護人,捜査担当検察官,裁判官,
教誨師,刑務官,それぞれの思いを垣間見ることができる。

この本に出てくる,控訴審(国選弁護人),
抗告審(私選弁護人,ただし報酬なし)であった小林弁護士に
宛てられた「死刑囚からの手紙」に対する返事のくだり。

小林弁護士から
「お手紙と現金5000円まさに受け取りました。
・・・この君のお金ー作業して蓄めたというこのお金ー
考え抜いて送ってくれたこのお金,有難くいただいておくよ。
・・・一生涯最も尊い報酬だと思えるんでね。」

私の先輩弁護士にも
「弁護士になって一番良かったことって何ですか。」
と質問したときに,
「刑務所から,先生に弁護人やってもらって,
本当に良かったという手紙が届いたとき。」
という言葉を聞いたことがある。
質問した当時は,報酬の過多の問題ではないんだな~,
という程度の感想だったわけであるが,
小林弁護士もまさにそんな思いで
活動をしていたんだろうな,と思った。


(感想は次に続きます。)

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「大変」

「大変という字は,『大きく変わる』ということなんで,
自分も,これをきっかけに,変わっていきたい。」

3・11を前に,高校生が語っていたこと。

私も,関わりを持っている方々の「大変」を支えていきたいし,
私自身も大きく変わっていきたい。

あれから1年。
このタイミングで,これまで自分が力になりたいと思っていたことを
形にして行動したいと思っている方から教えてもらった取り組み。
「みちのく仕事」をご紹介

http://michinokushigoto.jp/about

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